わたしは女の子になれなかったけれど

東大生ブログ「東大みおりんのわーいわーい喫茶」

わーいわーい!みおりんです。

今日は単なるつぶやきブログです。なんだかいろいろ悶々と考えてしまったりしまわなかったりして、ちょっと書きなぐりたい気分なのです。

わたしはいま、「入社までの半年間で90冊の本を読む」ということを自分に課しています。10月の2日から始めたので、単純計算で2日に1冊読み終わらなければいけないことになります。

90冊のうち、70冊は経済や経営、ファイナンス、マーケティングといったビジネス関連の名著をリストアップしました。残り20冊は、小説やエッセイなど自分の好きな本をなんでもリストに入れてOKということにしています。

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こんな感じでリストアップしています。白いセルはこれから気になる本を入れるところです😊

ベージュ色のセルがいま読んでいる本なのですが(ちょっとずつ読んでいるものが多くて5冊くらい同時並行になってしまっている)、うち今日から読み始めたのが日野佳恵子さんの『クチコミュニティ・マーケティング』という本です。

じつは日野さんには先月カンボジアでお会いしたことがあります、というか日野さんの「世界の消費を動かす女性マーケットトレンド」という講演を拝聴しました(▶︎カンボジアより帰国しました!のときです)。彼女は女性の口コミを生かしたマーケティングに長けた経営者で、その講演もとても興味深い内容でした。

で、ビジネス書の中でも人気の高いこの本を今日読んでいたんだけど、そこにはこんなことが書かれていました。

  • 女性の口コミ力は男性の3倍
  • 女性はいいと思った商品があると人に勧める

以前、別の方が書いた『ネットで「女性」に売る』という本にも、こういったことは書かれていました。

すごくおもしろいな、と思います。でも同時に、女性向けマーケティングの話に出てくる「女性」の傾向に、自分はことごとくあてはまらないと知って愕然とします。

なんでもほとんどそうなんだけども、わたしは昔から「女の子らしい」や「女性らしい」の定型からずっとはみ出ていました。かすりもしないことすらあった。それに気づくたびにやばいなと思いながら、その場で適当に取り繕うことでとりあえず難を逃れてきたのです。

小学生のとき、わたしは途中で自分がどうやら女の子たちとうまくやれないようだということを感じ取りました。べつにいじめられもしなかったし仲間はずれにもされなかったけど、いつも線引きされている感じがした。「みおりんは私たちとは違うから」と言われている気が、いつだってしていました。

一方男子というのは、特に小学生の男子なんていうのは、みんなとてもアホで(笑)、難しいことを考えず一緒に遊べる奴は全員仲間にしてくれました。わたしは小学校の高学年から、ほとんど男子とばかり遊ぶようになっていました。

中学校は幸いなことに男女の垣根があまりないような学校に進学したので(受験をして、同じ小学校の人が一人もいない中学に行きました)、性別がどうこうで悩むことはありませんでしたが、あるときずっと信じていた女の子二人との仲が突然崩れてしまったことがありました。喧嘩すらせず、突然、ぷつりと関係が終わりました。

なんだかそのやり方があまりにも「女の子」だったので、わたしは再びがっかりしてしまってどんどん女の子たちから離れていきました。もちろん関係の終焉にはわたしが悪かった部分もたくさんあります。彼女たちを責めているわけではなく、もっとちゃんと伝えてほしかったな、ということだけ思ったんだよな。。

加えて、中学の頃は中二病(笑)も手伝ってわたしはかなりボーイッシュになっていました。言葉遣いも悪かったし、髪もショートのことが多かったし、男子にも同性扱いされる始末。「かわいい」ではなく「かっこいい」と言われたくて、美人の女の子ではなくイケメンの男の子にライバル心を燃やしているような状態でした。笑

ところがそれが、高校に入ってから徐々に徐々に変わっていった。それまで、自分は一生恋をせずに生きていくのだろう、と思っていたわたしでしたが、まず高1のときに初めての彼氏ができました。結局その人には恋愛感情を抱けなかったのだけど、「かわいい」という言葉が自分に向くことがあるなんて、自分が恋愛対象として認知されることがあるなんてと衝撃を受けたのはこのときでした。

転機は高2でした。

当ブログでも何度か出てきている、後に一緒に東大を受験することとなる彼氏と付き合い始めました。このブログでは彼との受験同志としてのエピソードや彼への感謝しか書いてこなかったので、読者の方の中にはわたしたちがとてもいい関係だったのだと思っている方もいらっしゃるかもしれません。でも、実際は当時のわたしにとってはあまりにしんどいことがたくさんあり、出会いから7年ほど経ったいまでも、消えないトラウマとなっているものが多分にあります。

まあなにがあったかというと、彼は束縛というか求めてくるものが非常に多い人で、他の男子とわたしが仲良くしていれば次の日までメールの返事が返ってこない日があったり、(なぜかわからないんですが)日焼け止めを塗るのはダメ、肌荒れもダメ、マニキュアもダメ、ボーイッシュな服装もイヤ、…などなど制約がたくさんありました。そして彼がとても嫌っていたのが、わたしの男みたいな側面でした。わたしが男の子みたいに振る舞うことや、わたしに女友達が少ないことをすごく嫌がりました。

わかります。わたしだってもし自分が男性なら、彼女には女の子らしくしていてほしいと思うと思う。でも、女の子らしくいることが自分の義務で、少しでもあけっぴろげだったり男っぽかったりするのは彼にイヤな顔をされてしまうことで、それは罪なんだと思うようになってしまったわたしは、心のどこかが荒んでいっていたような気がします。

彼のことを抜きにしても、高校は中学と違い男女がはっきり分かれている雰囲気だったので、中学の頃のノリで男子とヘラヘラ騒いでいたわたしは「あれ…?」という感じでした。いよいよ「女子」の社会に入らなければいけないときが来たのです。

わたしなりに努力はしたつもりです。でもいまになってわかったのですが、それでも高校時代の女の子たちは「みおりんはなんであんなに男子と仲がいいの」と話していたようです。結局なじめなかったなぁ、、

もう24歳だけど、わたしはいまでも、女性社会というものに足踏みしてしまいます。いま所属しているコミュニティにも女性主体のものがあるのですが、どうしても難しいなと感じてしまう。冒頭に戻りますが、わたしはいいものも悪いものも、特に集団で共有したいとは思わないし、みんなで誰かの悪口を言うことにも面白みを感じられないし、行きたくもないトイレには同行したくないし、恋話で盛り上がりたいとも思わないし、可愛らしいスイーツをみんなで囲んで写真を撮る必要性は感じないし、とにかくいわゆる「女子会」で行われるようなことが本当に苦手なのです。

でも、こういうことを思った瞬間に、「ああ、この自分はいけないんだった、悪いことなんだった」と自己嫌悪のようなものが走ります。それは残念ながらいまだに高校時代の彼氏の価値観が自分の中に残っているからなんだろうと思います。

何年も経ったいまでもそれが尾を引いてしまうのはわたしの弱さです。

ただ、最近は思います。

女の子らしくなれなかったとして、それが何なの?

いわゆる女子会的なものを好きになれなくても、女性社会での処世術に長けていなくても、他の女性と同じように振る舞えなくても、わたしはわたしだし、だから何なの。

…って思うようにしています、最近。開き直りですね😥笑

わたしは、かつての彼氏が望むような「女の子」にはなれなかったけど、女性視点でのマーケティングもどうやら難しそうだけど、でも、いいのよ。べつにそれで。

幸いなことに馬鹿話を延々としていられる男友達はたくさんいる。先日泊まりで遠出をする機会があったのですが、そこで会った友人のうち、2人は男友達、うち1人は例の元彼の親友です。元彼とは縁が切れたのに、皮肉なことに親友とは何事もなく仲がいいまま。笑

…ふう、なんでこれを書きなぐりたかったのかわからなくなってきました😥だいぶ見苦しいな。。朝になったら消してるかも💦

なんだかたまに、やっぱりこのままだと自分はまずいのかなと不安が襲ってきて、こういうことを無限ループで考えてしまうんです。でも書いたらすっきりしました😞

おやすみなさい😞💤

2 件のコメント

  • 私は恋バナもするしファッションも気にする、大人から見たらいわゆる「女の子」なのだろうと思います。
    けど、クラスメートの男子からは「生物学的には女」「オカマ」と言われます。「あほ」「ばか」を連呼してるからでしょうか。笑
    このコメントは正直私の自己満かもしれないけれど、どうして「女の子らしい」「男っぽい」って言われる必要があるのかな、と最近思ってしまいます。
    みおりんさんの元カレさんは全女性から嫌われそうです。笑
    女だからどうした、男のような側面があったからどうした。という考え方をしています。年配の方や女子力がすべてだと思ってる方には好かれない考え方ですが。
    世の中の女性像がすべてじゃないし、かといって私の考え方が正しいわけでもない。そんなもんだろ。と。
    みおりんさん、無理せずに頑張ってください。

  • みおりんさん、こんばんは。
    女子世界の苦しさ、ですよね。
    私も学生時代に、何故かわからないけど突然友達が友達でなくなったことがあります。連れトイレも嫌でした。べったりと依存してきて、他の人と仲良くすると嫌がる人も苦手でした。
    今日も地域のお仕事で、女性たちが公民館の台所でお年寄りの食事の支度をする、というのをやってきました。
    田舎の民俗社会というのか、未だに「お母さんたちは台所ね」という傾向が根強く残っているんですよね。私がそれを好むと好まざるとにかかわらず。良いとか悪いとかではなく、事実としてそこにまだある。
    女性の結束力が功を奏することもあるし、女性の独占欲とか排他的なところが足枷になることもあると思います。
    子どもの担任をしてくださった小学校の先生からは、「ママンさんは男の部分がありますね(笑)?いや、でもそれでいいんですよ。子育てするにはお母さんにも男の部分がないといけません!」と言われたことがあります。
    はい。私は必要とあらば喧嘩もいたします(笑)。
    娘も、女の子を否定してはいないけど、しょっちゅうつるんで他の子を締め出したりするような、いわゆる「グループ」にはどこにも属していないので、ある意味一線引かれているとおもいますが、それでいいと思っています。小さい頃は、友達できないのかな、と、娘をもどかしく思ったりもしましたが、つるんでいる子たちはトラブルも多く、成績も下がったりして、友達とつるんでいることだけが必ずしも良いことじゃないんだな、と私も気づきました。
    つるんでいる間は楽しいかもしれないけれど、「私たち仲良しなのー」「他の人は入ってこないでー」というマインドにいつまでもとどまっていては、いずれ立ち行かなくなると思います。
    そういういかにも女子的なこと、私も苦手です。
    良い商品を教えあうなどは楽しいですけどね。
    みおりんさんも、求められてる女の子像にあてはまらなくても、なんにも問題ないと思いますよ〜。
    人として、みおりんさんとしての道を、堂々と歩んでくださいませ!

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