おそろいのものを持つのが、ずっと怖くてしかたなかった

中学生のころ、1組のピアスを友だち同士で分け合ってリュックにつけるのが流行った。うちの中学は学校指定のリュックだからどれも同じデザインなのだけど、そういう目印ですぐに「あの子とあの子が仲良しなんだ」というのがわかった。おそろいのキーホルダーやミサンガをつけているグループもあった。

それを遠目に見ながらわたしは、自分はあんなこと怖くてできない、と思っていた。なぜなら中学では定期的に地殻変動が起きて、小さな諍いからしょっちゅう仲違いが発生していたから。特に女の子たちのグループでは、人物相関図が頻繁にアップデートされた。

大人になったらあまりないことだけど、中学では急に友だちとうまく話せなくなったり、無視されたり、やんわり仲間はずれにされたりといったことが普通に起きる。それまで毎日一緒に帰っていた子と突然話さなくなって、それきりまったく口を利けなくなることだってある。

そんなとき、おそろいで買ったものはどうしたらいいの?

相手が早々に外していたら傷つくし、逆にそれを恐れてこちらが先に外したら、それを決定打に向こうが二度と話しかけてこなくなるかもしれない。だからといって、自分だけが友情の残骸を身につけつづけるなんてしたくない。

実際に地殻変動が起こったグループの子たちは、昨日までみんなでつけていたキーホルダーを外して随分と殺風景になったリュックを背負っていた。そしてしばらくすると、そこにはべつの友だちとのおそろいグッズが飾られたり、彼氏とペアになったミッキー&ミニーのストラップがぶら下げられたりした。

つまり、おそろいのものを怖いと思うとき、わたしはいつもその関係の終わりのことを思っていた。

恋愛でも友情でも、関係性というものには必ず終わりが来るとわたしは思っている。その終わりを迎えたとき、それ以上気まずくなったり傷ついたりするのが怖いのだった。

関係性がまだ旬の時期だったころ、その関係性の楽しさにお互いが酔いしれて、盛り上がりのままに購入したおそろいの品。
いちばんおいしい旬のころが終わり、さらには賞味期限も切れたわたしたちに残された、友情を証すその品。
一方が外し、もう一方だけ飾りつづけることで、証の機能を失ったその品。

ああ、気まずい。気まずいし、どうしていいかわからないし、それを見るたびにわたしはたぶんうっすら傷つく。

そんなことなら、はじめからおそろいのものなんていらない。
どんなに仲良しで、どんなに一緒にいるのが楽しい相手でも、関係性を証明するような怖いことはしない。

わたしはそう誓って、中学時代から大人になるまでずっと、「おそろい」を避けて生きてきた。

 

誓いが解けたのは、一昨年。
30歳にして、友だちとおそろいのキーホルダーを買ったのだ。

彼女は中学の同級生だった。入学してわりとすぐに仲良くなった。お互いの家は離れていたけど、彼女がわたしの家に来たこともあったし、彼女の実家の病院にインフルエンザの注射を打ちに行ったこともあった。

でも、そのうち歯車が合わなくなって、関係が途切れたことがあった。たぶんあれは、中学2年の冬。結局、その後数カ月して関係は戻った。そのあとはお互い別々の進路に進んだこともあり、疎遠になったり連絡が復活したりを数年おきにくり返していた。

その後、社会人になってからまた東京で会うようになって、月に1回くらいのペースで楽しく飲む仲になった。そんな友だち。

その子の転勤先が福井県になるという。わたしは気軽な気持ちで遊びに行った。

彼女が福井駅まで車で迎えに来てくれて、土日まるまる一緒に遊んだ。東尋坊、恐竜博物館、永平寺、越前そばのお店…福井は食べものもお酒もおいしくて最高だった。

恐竜博物館は特に楽しくて、わたしははしゃぎ倒しだった。恐竜がたくさんいるし、しかも動くし、鳴くし、おまけにお土産ものもかわいい。そのお土産屋さんで、わたしの20年来の誓いは解けた。

二人で色柄違いの恐竜のキーホルダーを買ったのだった。何種類かある柄のどれが出るかわからないキーホルダーを、それぞれ1つ。

「これにする」
「えー、私はこれかなぁ」

欲しい色や柄を各々祈りながら選んで、車の中で同時に開けた。

「わー、かわいい!」

出てきたのは柄違いのステゴサウルス。わたしは早速バッグにつけた。

左がわたし、右が友だちのキーホルダー🦖

あれから1年半経ったいまも、わたしのバッグには変わらず青い恐竜がぶら下がっている。でも、それは友情を証明したいからでも一緒に買った友人に気に入られたいからでももちろんなくて、ただそのキーホルダーが気に入っているからだ。彼女のほうもまだどこかにつけているのか、それともとっくに外してしまったのか、はたまたなくしてしまったりしているのか、全然わからないけれどまったく気にならない。持っていてくれたらうれしいけど、そうでなくてもわたしは傷ついたりなんかしないし、キーホルダーの有無に関係なくわたしたちは友だちだ。

わたしはいまでも誰かと関わるとき、その人との関係の終わりを考える。どんなに仲が良くても、考える。お互い大好きで安定した関係を築いている夫に対してすら、考える。

でも、それは昔みたいに、悲観したり恐れたりしているわけではない。ただ、ひととひとの間には必ず終わりがあるものだと知っているだけだ。最終的な死別も含めて。

関係性は、よくも悪くも変わっていく。その過程も含めて楽しめるようになったわたしは、もうおそろいが怖くない。

 

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