わたしが0か100かの完璧主義を卒業できた理由

わたしには子どもの頃から患ってきた、人生を生きづらくさせる厄介な病気がありました。

 

それは完璧主義病

 

小学生の頃は、音読の宿題でつっかえてしまう自分が許せなくて、一度でもつっかえるとまた最初から読み直したり。テストも絶対に100点をとれないと嫌でした(理科だけはどうがんばってもいつも90点台でしたが😥)

大学のときは、5分授業に遅れると(大学は高校までと違い、途中入室する人が大量にいます)それだけでもう嫌になり、5分遅れるならもうその授業には出ない、みたいな極端なことも多々ありました。95%になってしまうくらいなら、もう0%でも同じじゃん、みたいな。

仕事を始めてからも、パワポで作る資料にしてもなんにしても、少し図形がずれているとか、1カ所だけフォントが違ったとか、そういう小さなことでも絶対に許せませんでした。自分の作ったものなら必ず直したし、ひとが作ったものの場合は、指摘や修正はしないけれど一人で勝手にもやもやしてしまうことがよくありました。

 

でも最近ふと、「あれ?わたしいつのまにか完璧主義じゃなくなってるな」と思うようになった。いまはそうした小さなミスを見ても、前よりは「まあいっか」と思えます。

これは突然なにかがあって変われたというよりは、だんだんと変化していったように思います。でも、きっかけはなかったけど、変化の理由はありました。

それは端的にいうと、「みんな結構いいかげんなんだな」と気づけた、ということです。

 

わたしは少しの図形のズレにもフォントの間違いにも気づくし、気づけば気になってしまう。だけど、たいていの人はそのくらいのことを気にしないし、というかそもそも気づいてもいない。「ここ変ですよね」とこちらから言って初めて、「あったしかに!気づかなかった〜」とリアクションが返ってくるくらい。

じゃあわたしはなんのために気にしてるんだろう、と思いました。ほんの少しのミスに気づいて、直して、でもその修正や改善には誰も気づかない。そもそも誰も気づかないようなミスを、自分ばかり気にして時間と手間をかけて直して、ちょっと馬鹿みたい、と思いました。そのリソースはなにかべつのことに割いたほうが有意義なんじゃないか。

 

もちろんいまでも、変わらず気になることはあります。自分の本やブログでは極力誤植を避けたいと思っているし(見つけるとすごくがっくりします😵)、メディアの報道や他の方のSNS投稿を見ても、「ずつ」を「づつ」と書いているものや「こんにちは」が「こんにちわ」になっているものや「抑える」と「押さえる」を混同しているものなど、毎日気になってしまうものはたくさんあります。でも、前よりは「どうせみんな気にしてないんだもんな」と流せるようになった。

0か100かの完璧主義によって、作り上げることができたものや手に入れることができたものはたくさんある。でも、それのせいで失ったものもたぶんいろいろある。完璧主義を少し卒業して、前より生きやすくなったと感じます。

あとから誤植を直せない書籍のような紙媒体では完璧主義をとり、いくらでも修正できるWeb媒体や、数をたくさん打つことが大切なSNS投稿などではまあまあ主義をとる、というような感じができたらいいな。完璧主義は決して欠点ではないと思っているので、使うときには使う、使わないときには使わない、と分けていきたいなと思います。

 

 

1 個のコメント

  • 完璧主義は欠点ではない
    使うときは使う、使わないときは使わない

    同じく完璧主義病な私にとって、すっと心が軽くなるような言葉でした。これからも心に留めておきたいと思います。

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