わたしはオタクになれない、というコンプレックス

東大生ブログ「東大みおりんのわーいわーい喫茶」

わーいわーい!みおりんです。

 

最近少し思ったことがあって。

それは、「わたしはきっとオタクにはなれない」、ということです。

ここでいうオタクというのはすごくいい意味で、「なにかについて深く興味をもって追究できる人」ということです。(もしオタクという言葉がポジティブに聞こえないようであれば、職人と言い換えてもいいかもしれません。)

アニメオタク、アイドルオタク、健康オタク、筋肉オタクなどいろいろありますが、どれも本当に憧れです。語り出すと止まらなくなるようなものがあること。それってとってもかっこよくてすばらしいことだと思う。

わたしにはこの、「語り出すと止まらなくなるもの」がありません。

比較的なんにでも興味をもつほうだと思うけれど、人に語りたいほどのものはほとんどなにもなくて。飽きっぽいのかな、と悩んだりします。

仕事でも勉強でも趣味でも、「これについてずっと考えていたい」ってものがない。

なんだか最近、世の中で成功している人って、みんななにかのオタクだから結果を出せているんじゃないかって思って。 極める力があったり、本当に好きだからこそつづけられたり。メジャーリーガーはどうやったら野球がうまくなるかを四六時中考えている野球オタクだと思うし、稼いでいる美容アフィリエイターは美容のことを寝ても覚めても思っている美容オタクだと思うし、さかなクンは魚の知識をとにかく極めた魚オタクのはず。その道のプロになるってそういうことなのかな、と思います。

わたしは勉強法の記事や動画をずっと作っているけれど、そしてそれはとても楽しいけれど、別にわたしは勉強法オタクではない気がします。

なぜなら、もしまったく誰の役にも立たなかったり、あるいは1円にもならないとしたら、わたしはたぶんブログやYouTubeで勉強法の話をしたいとは思わないからです。実際、普段の生活で勉強法について熱く語ってしまうようなこともない。もちろん身近に勉強に困っている人がいて相談を受けたら、できる限りのおこたえをします。でも、べつに語り出すと止まらなくなるようなものではないし、求められているからお伝えできるだけで、自分から話したくなるということはありません。

これが「突き詰められない」ということだとしたら、わたしはビジネスパーソンとして致命的な欠陥を負っているのではないか?というのが最近の悩みです😥

きっかけは、先日会社の上司に「毎日しっかり数字を見て分析して考えていないと、今日俺が分析ツールの使い方を教えた〇〇さんにすぐ抜かれてしまうよ。〇〇さんはオタクだから」と言われたこと。

わたしはそこで、「そりゃあそうだろうな」と思ってしまったのです。「そりゃあ抜かれるだろ。だって、わたしはそこまで興味が持てないから」と。

負けず嫌いのくせにそう思えてしまったのは、わたしがオタクになれる自分をまるで信じていない、ということなんじゃないか。そんなことを思いました。

わたしは比較的「初めてのこと」に挑戦するのが好きで、まったく知識のなかったところからある程度の感覚をつかむところまでは結構ぐいっとストレッチしてたどり着くことが多いと思います。

でも、そこまでいくと「ここから先はもっと詳しい人がいるもんな、困ったらその人に訊こう」となってしまう。たぶん。自分が誰よりも詳しくなってやる!みたいな気概がないし、気づいたら誰よりも詳しくなっていた!というほど夢中になる力もない。

夢中になる力。

これって生きていくうえですっごく大切な力の気がするなぁ、なににおいても。わたしは一時的にはこの力をもつことができるのですが、長期的にはまだないみたい。あるタイミングでどこか冷めた頭になってしまう自分。その心ぐせを直せたら、いつかすごい人間になれるかもしれません。

がんばるんば😳

 

▼約1年後に書いたアンサー記事(?)。

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